中村苑子の「水に映っていたもの」   岡田由季

   鈴が鳴るいつも日暮れの水の中
 
 中村苑子『水妖詞館』。息を止めて、水底の蒼い世界にすーっと潜っていくような、不思議な緊張感溢れる句集である。作品中には「死」「喪」という言葉が繰り返し使われているが、あまり暗いという印象は受けない。それは、悲しみや恐れといった死に対する「感情」ではなく、作者が実感をもって捉えた死というものの「感触」が描かれているからであろう。無季や破調の句も多く、また非現実の世界を描かれている句が多いが、自己陶酔にならずストイックに捉えようとする視線は、俳句というジャンルならではのものではないかと思う。

   
   喪をかかげいま生み落とす龍のおとし子  『水妖詞館』
   おんおんと氷河を辷る乳母車  同
   死は柔らか搗かれる臼で擂られる臼で  同
   母の忌や母来て白い葱を裂く  同
   
 ページをめくるうち、いつのまにか子供時代の自分の部屋の空気が蘇ってきた。私はどちらかといえば活発とはいえない子供だったので、自分の領分である二段ベッドの上段にもぐりこみ、本を読んでいる時間が一番幸せだった。好きだったのは勉強や社会生活の役には立ちそうもない「ものがたり」の本。中でも主人公の少年・少女がドラゴンや魔法使いの住む別世界に紛れ込み、冒険をするファンタジー・ノベルがお気に入りだった。風邪気味の身体がだるい時などにそういう本ばかり読んでいると、だんだん現実世界と幻想世界の境目があやふやになってきて、日々の生活は本当ではなく本の中の世界の方が本当であるかのようなふわふわとした非現実感に襲われたものである。むろん「水妖詞館」に描かれている世界は、そういう子供っぽいファンタジーではなく、もっとシビアに生と死を見つめたものである。が、この句集は、現実世界からふと迷い込んでしまう異世界の触感のようなものの存在を私に思い出させてくれたのである。 
 ファンタジーにおいて、架空の世界にリアリティーを持たせることができるかどうかは、通常は細部にかかっている。架空の国でも、たとえば地形や通貨単位、住民気質まで詳細に設定され、きちんと描かれていれば、その世界に素直に入っていける。そのため、ファンタジーはたいてい長編である。それを、たった十七文字の詩形で異世界の空気を運んできてくれるのだから恐ろしい。頭で考えたイメージだけで同じようなことをしようとしたら、全くつまらないものになってしまうだろう。作者の中によほど確固とした世界があり、それを見つめる冷静な視線がなければ生み出せないものである。

   船霊や風吹けば来る漢たち  『水妖詞館』
   いまも未熟に父母きそふ繭の中  同
   桃の木や童子童女が鈴なりに  同
   
「俳句という詩型は、踏み込むほどに眼に見えないものが見えてくるという非情な一面もある。」最近、ある女性俳人についての文章の中で、苑子はこう書いている。対象を突き詰めていくことにより、透けてくるのはやはり自分自身であろう。仏師が木から仏を掘り出すように「自分」というもののかたちを突き詰めていく。そのとき人が直面するのは幼い頃の自分自身かもしれないし、もっと別の何かかもしれない。見ない方が良かったようなものも出てきてしまうかもしれない、そう考えると俳句を作るという行為がなんだか恐ろしくなる。(が、やめられない。)苑子のように深く深く突き詰めてゆけば、生と死というテーマに到達するのも当然のことであったろう。
『水妖詞館』の翌年に『花狩』が出版されている。『水妖詞館』の苑子の自選があまりにも厳選であったため、その前後にまたがった年代の作品から高柳重信、吉岡実の選で編まれたものである。そう考えて読むと、苑子の自画像と男性からの理想像といった感じで面白い。

   人の気配する雛の間を覗きけり  『花狩』
   双つ蝶もつれて沼にくつがへる  同
   綾取りや小鳥殺しの春の雪  同
   墓地を来し眼もて少年を泣かしむる  同
   一度死ぬ再び桔梗となるために  同
   
 そういえば、私が初めて苑子の俳句に触れたのは、歳時記に収録されていた

   澪標身を尽くしたる泣きぼくろ

であった。正直言ってその時は演歌調であまり好きになれないと思った。この句については苑子自身はこう書いている。
「…上句、なぜか男の人に好まれている。ある日、横須賀の埠頭で、(中略)そんな風景を眺めているうちに、一人の男に自分のすべてを捧げ尽くす、おとなしく優しい女の姿が浮かび上り、いったん船出したら、いつ帰ってくるか判らない男を待ちに待って、さびしさに耐えて暮らす女を表現するのに、『泣きぼくろ』という言葉を選んだ。こうした女の人は、いまは幻の存在だと思われるし、それ故に男の人たちは心の内で渇仰するのであろう。…」
 自分の作品にしては随分突き放した書き方である。根底にユーモアも感じる。おそらく作品を一度生み出してしまったらあまり拘泥せずに前へ前へと進む女性なのであろう。一九一三年生まれ。平成五年に句集『吟遊』を刊行。今後益々のご活躍をお祈りしたいと思う。


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