ラマダンの月は青

こしのゆみこ

梨花集を開きながら冬のモロッコを旅している。
ラマダン真最中の人々がより生理的に感情的に生
を意識して暮らす月を見たくて。

生きるとは生き残ることちちろ鳴く 長谷川智弥子 

大きい街もどんな小さい村も日向ぼっこの人、人、人。
店先では大勢で、あったかい壁や岩を背にひとりぼっちで、
道行く人を見ているような、見ていないような、幸せと思えば、
なんだかしあわせだし、ふしあわせと突然思ってしまえば、
世界で一番ふしあわせに生きている自分に涙ぐむ日向ぼっこ。
生きるって日向ぼっこをどれだけしてきたかということではないか。
この国を旅すると思ってしまう。昨日まで、よろよろ日向ぼっこに
来ていたモハメッドじいさんが今日はいないのだ。
「ちちろ鳴く」は中くらいのふしあわせなのだろうか。
死生感をこんな風に言い切るのなら、座五に転換が欲しい。
私にはせつなすぎる。

花野駆く少年の怒りまっしぐら  清水淑子
事故多発地帯へなだれ月の萩   丹沢亜郎

ラマダンは日の出から日没まで性に関する欲求と一切の食べ物は
もちろん、飲み物も禁じられている。病人や小さい子供を除いて、
ほとんど百パーセント、泥棒や女たらしやたぶんモロッコにもいる、
なんに対してもいい加減な奴もラマダンだけは破らないという。
一滴の水も飲まない。唾も飲み込まない。だから、
この時期ひとびとは怒りっぽく衝動的だ。交通事故が多い。
すごく、わかりやすい。 日本人の欲求不満の複雑さはどうだろう。
とうてい、ひとくくりにできない。私のかなしみはわたくしひとり
のものなのだ。
花野を激しく駆けている少年、怒りを撒き散らすように。
花野の小さい赤や黄やむらさきの小さい花が少年のおこす
風にゆれる。怒りの原因はモロッコの少年と大きく違っても、
癒し方はどこの国もどこの村もすごく原始的。走って走って
自分で風を起こすのだ。「怒りまつすぐ」の「まつすぐ」は
怒りの大きさや直情的性格が表れておもしろい。きいている。

満月の非常階段子が溜り   一ノ木文子

カサブランカの空港に降りた時、満月だった。
マラケシュのジャマ・エル・フナ広場で大道芸を
見ているときも満月だった。
その翌日、メディナで迷子になって、
ようやく出られたときも満月だった。
月が高く青くあんまり明るいので何日も満月がつづくのだ。
日没前、コーランが鳴り響く前、みんな食事の準備に忙しい。
パン屋やお惣菜屋に列ができる。
メディナの商店のシャッターが次々と下ろされる。
先を争って家路につく。
店先に鍋や器を出して解禁の合図を今か今かと待つ家族。
コーランだ。右も左も前もみんな一斉に食べ始める。
女性だって家まで待てない。歩きながら、ごくごく飲んでゆく、
むしゃむしゃ食べてゆく。
みんなにこにこにこにこ表情が柔らかくなっている。
ラマダンの時期、ひとびとの消費がぐっと高くなるそうだ。
人口の半分が未成年者というモロッコ。子供、子供、子供。
はるかなつかしい子供。働く子供。遊ぶ子供。喧嘩する子供。
泣く子供。 満月の非常階段「子が溜り」なんだか、
水溜りのように子供たちがはかなく見える。
かげろうのような非常階段の日本の子供たち。 

ブラジャーに針金の芯神無月   田島健一

この句をみて、市場に積まれているブラジャーに触れてみた。
ちゃんと針金がはいっている。入ってないのもある。
立ち止まって見ているとお店の兄ちゃんがまくしたてて来るので、
早々に退散。パンティなんかも結構派手だ。
こんなのあの辺に座って居るおばさんがはくのんかいなあ。
モロッコにもきっと「おばあちゃんの原宿」があるにちがいない。 
「ブラジャーに針金の芯」は読み手に委ねる句である。
さらっとそうなんですとよんだ方がいい。
フェミニズムなんか持ち出したら興ざめだし、男性の単なる発見でいい。
そういう書き方である。しかし、「神無月」はどうだろうか。
ちょっと言い過ぎている。意味ありげである。
「十一月」の方がいい。字余りが気になるのなら
「十二月」なんだけれど、ええい、いっそ「月」はやめて…?
俳句って本当にむづかしい。

透明な水薬あり後の月    齋藤朝比古

香料の国である。香水もハーブも薬も化粧品も同じ店の棚に並ぶ。
強い香り。ピンク、水色、黄色、藍色等絵の具のような水薬。
粉薬。根薬。媚薬。精力剤。毛生え薬。腕にこする蚊除け石。
手の甲にこするとわかる性欲度測定クリーム。モロッコは大真面目である。

雄鶏の眸を細めたる秋の海   吉田悦花 

ジュラバを着た老人の前に鶏が五、六羽づつかたまって蹲っている。
おとなしいから死んでいるのかしら、と思って覗くと、
足が束ねられている。束ねられた雄鶏の塊が三つ。
鶏たちは一様に目を瞑り、時々うつつに目を開ける。
本当に静かだ。瞑っている目ははるか大西洋の海を見ているのだ。
そして、生きているのを確かめるように、薄目を開ける。
老人も鶏と同じように目を瞑り、目を開ける。

ショール纏い翼走りといふものを 高橋公子
     
砂漠に近くに住む女性が着るメルハフは風に靡いて美しい。
チャドルと違って、いろんな色があるが黒のメルハフの中の
服の派手さに目をみはる。男尊女卑の厳しい国モロッコの
女性のささやかな自己主張が風に捲れ上がってドキッとさせられる。
風が吹くと、心は両手を広げ翼走りをしたくなるもの。
まして、両脇を布で締め、いつも縛られたような衣服を
身に付けている彼女たちならばいっそう。

砂浜のうすき足音秋の蝶   木村佳寿江 
十一月は清貧といふ人恋し   萩尾鬼覚

月はもう三日月に近いのに明るい。
砂漠の日の出を見に行くと、遊牧の人がどこからともなく
やって来て勝手に砂漠を歩くのを手助けしてくれる。
「寒い」というと火を焚いてくれた。
砂漠に生えてぱりぱりになった草を燃やすのだ。
三十八歳、子供が四人、家族十五人はどういう構成かわからない。
彼がいう。「たしかに、私達は貧しいが心は豊かだ」
口に出していわなきゃもっともっとそう思えるのになあ。
彼等は優しく、したたかで、あっつい。あっ、光の点。
光がみるみるうちに大きく広がってゆく。砂漠の砂がオレンヂ色。


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