[わたしの選句基準]
井上広美 Hiromi Inoue
漢字にひらがなカタカナと、三種の言器をもつ国に生まれた果報者。さてそれも、猫に真珠かブタに小判か、こねくりまわした臍の緒は、無惨に赤く爛れております。1956年12月17日東京生まれ。十七音の魔界に酔いたいものでございます。
宇田川寛之 Hiroyuki Udagawa
はつきり言つて直感。無責任と思ふなかれ。結局は自分の感覚を信じるしかないのです。それと詩を感じない俳句には興味が持てません。
内山いちえ Ichie Uchiyama
心の洗われる句。魂の叫び、やわらかな調べに乗った強い意志、戸惑い、そして潔さ。そんな句が、私は好きだ。
大石雄鬼 Yuki Oishi
俳句は定型詩であるがゆえに、その形や約束事にこだわりやすい。しかし詩である俳句の一番重要なのはその中身である。心ときめけばそれで十分。たとえ俳句でなくなっても…
片岡秀樹 Hideki Kataoka
世界があることの奇跡にどう迫ったかに注目する。常識と私意を捨て、客観性に至った作を評価する。饒舌な句は取らない。扮飾なき表現を善しとする。
川田由美子 Yumiko Kawata
ひめやかにある作者の存在、イメージがこちらに投げかけられる瞬間。ゴダールが映画Passionの中で言っていた「愛は労働だ」に通じる、冬の沢の岸辺でゆれやまない小枝。
菊田一平 Ippei Kikuta
観念を入れず、物にたくして詠んだ俳句が好きだ。例をあげると、高野素十、星野立子。そんな俳句を詠みたいと思う。従って選句も省略の効いた単純な句ということになる。
こしのゆみこ Yumiko Koshino
清新な言葉ひとつにどきどきする。言霊を感じる言葉。一句として未完成であろうと。近頃豆の木高得点句に名をつらねてしまう私はヤキがまわったのだろうか。
齋藤朝比古 Asahiko Saito
有季>無季。定型>自由律。具象>抽象。平明>難解。文語>口語。旧かな>新かな・・・・。こんな事言ってますが、やっぱり、好きな句は理由なく好きです。
峠谷清広 Kiyohiro Togetani
原則として新鮮な表現であること。なお、「出来るだけ採らない」ことも主義の一つ。たかが十七文字前後の文学だ。評価は冷酷にやろう。
中嶋憲武 Noritake Nakajima
有季定型であること。季感があり、そこに詠まれているもの(こと)がありありと見えれば、なおいい。実感があること。想像が想像を呼んで広がること。
壬生雅穂 Masaho Mibu
人に気に入ってもらおうと考えていて、作った本人も納得できる句。単語あるいはその組み合わせによってハッとさせられる句。そんな句が好きです。
守谷茂泰 Shigeyasu Moriya
豆の木のメンバーの目にまだ触れていない句を中心に選んだ。最近は俳句の韻文精神について考えている。
柳生正名 Masana Yagyu
末期の目。明日死ぬと分かったら、目の前にあるありふれた光景がどんなに新鮮に映るだろう。それをありのままに見ることのできる自分がどんなにいとおしく思えるだろう。
山口あずさ Azusa Yamaguchi
跳躍力のある句。自分もそんな句が詠みたいと思っているので。また音の良さ、キズがないこと。そして訴えるべき何かがきちんとあること。(要求が多すぎる?)
矢羽野由起 Yuuki Yahano
有季定型を志していながら無季の句を特選に推している私。選が等身大の私を映しだしている。その時々の今の自分を表しているのだとも思っている。
吉川真実 Mami Yoshikawa
私にとってポエジーが感じられるか否かが重要。また作者の表現したい世界がその人自身の発見のある言葉で表現されてあるとすごいと思う。
吉田悦花 Etsuka Yoshida
類句・類想には寛容ではない私。うまい句・できすぎの句・イメージ先行の句も苦手。キレがあってコクがある、どこか「ぶっとんでいる」感覚が好きです。
吉永彩華 Saika Yoshinaga
愛や人生や生活を感じさせない句が好き。そういうものは、自分の中でだけ静かに感じたいので。人のも自分のも、記念写真やビデオを見せられるのは勘弁なのだ。